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2006©Bron Speed Inc.
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Movie

■暗殺の森/Il Conformista

  • Il Conformista 〜朕は国家なり

     監督ベルナルド・ベルトルッチ、出演ジャン・ルイ・トランティニヤン、ドミニク・サンダ、ピエール・クレマンティ、ステファニア・サンドレッリほか、原作はアルべルト・モラヴィアの「孤独な男」。少年時代のトラウマから逃れるようにファシズムにのめりこみ、友人を裏切り、恩師も愛人を殺してさえも、一般人であろうとする大学の哲学講師の物語。
     ファシズムの台頭と崩壊の歴史が或るファシストの魂を翻弄し、陵辱するさまを描いた傑作。退廃は麗美ゆえに、そして静謐ゆえに生まれる。輪舞は歴史の歯車を象りながら、陥穽に落ちていく二組の夫婦を飲み込む装置である。また暗殺は絶叫と弾丸の響鳴を以って異世界が姿を見せる合図である。雪の針葉樹林で執行される暗殺シーンは甘く美しく、逃げ惑うドミニク・サンダの背中と血まみれの顔はファシズムが崩壊する予期に満ち静かさを湛えている。
     うつろう心に残った一点の空白は、地獄を見るからこその空白なのである。これは臨界の高揚と沈静に取り憑かれた者への劫罰であろうか。地獄とは虚構の檻に閉じ込められた己を見つけることである。そして魂は呪われた血筋の幸福を知り、虚無にて消滅していく。悲喜劇とは残虐のドラマである。
     テロルの後、新雪に向け立小便しながら
    「どうせ殺されるんなら生まれてこなけりゃ良かったんだ、こんな地球はドカンとぶっ飛ばしてやりたいよ」の科白に心ゆさぶられる。

    1970年制作/ドイツ‐フランス‐イタリア映画
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  • ■美しき冒険旅行/Walkabout

  • Walkabout 〜飛んでもハップン歩いて十分

     バジル・カーチンの電子音が渦巻く怪作「殺人鬼の森」で、ぼくをメロメロにさせた美少女ジェニー・アガター。彼女が大自然の中で瑞々しい裸身を誇り圧倒する、ニコラス・ローグの隠れていないが、しかし隠れた名作。
     オーストラリアに住む或る女性が、キッチンでレバー調理中に回想するという形で幕を開けるこの作品、その真髄は文明批判でなく、ただ大自然の驚異である。姉と弟が父親の無理心中に巻き込まれて砂漠へ置き去り、姉は何とか悪戯坊主の弟を連れて我が家を目指しながら、途中出会ったアボリジニの少年に生きる術やら民族性の違いやら教えられ、そして人間の意味迄を思春の中で感じて大きく成長。三日ほどで我が家に辿りつく豪州版「ほしをつぐもの」だが、距離の短さに比べ、秘境や猛獣や原住民がゴロゴロと点在するオーストラリアの異国性に驚き、ラストに再び包丁持ったまま回想する女性(コレお姉さん)が帰宅する夫を迎えるシーンで終わるが、ここで更にビックリ。

    1971年制作/英国映画
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  • ■ウルトラQ〜ダークファンタジー

  • 第24話「ヒトガタ」/ 第25話「闇」

     「ウルトラQ〜ダークファンタジー」の第24話「ヒトガタ」は、実相寺昭雄監督、堀内正美・寺田農出演による観念の迷宮で、浅田彰をモデルにしたかと思しきキャリアの、若き哲学者の彷徨を描く機械人形(オートマタ)綺譚。たとえATG作品であろうとアダルトビデオであろうと全て「ウルトラマン」である実相寺作品だが、本作も例外に洩れず「ウルトラマン」である。永遠器官の魂を吹き込んだ人形に愛される生涯とは、死への思索に憑り込まれることである。狂気のまま惰眠を貪るのか、人間の生殖器へ舌を這わせる人生か、脳髄に話しかけてくる声が自己の深裡より響くを知って、かぶりを振って鏡を見やれば、そこに映るは何なのだろうか。山本じん造形の人形が放つ何とも形容し難い禍々しさ、そして思わず耳を塞ぎたくなるほどに不気味な原知佐子による人形の声、これらによって本作は傑作と為り得ている。
     続く第25話「闇」も実相寺昭雄監督、嶋田久作・橋爪淳出演による廃墟取材のテレビクルーを襲う怪奇現象を描くパニック劇。「ヒトガタ」を凌駕する身震いの傑作。これは神殺しをしようとした男の物語である。過去の惨劇とテレビ中継の現在のみに支配された空間、そして人間崩壊の実況放送を企むプロデューサーによる意図的な光と闇の交差、それらは全ての因縁と虚栄をただ恐怖一色に塗り変える装置であった。やがて訪れるカタストロフは、しかし全機能と必然の関係では無いのだ。「心霊写真に何故に顔が現れるのか、すなわち人は顔に恐怖するからである」という右脳舌状回の呪いに取り憑かれた男は、愚かしくも既に左脳に復讐されていたのかも知れぬ。本当なのか、それは。
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  • ■告白的女優論

  • 告白的女優論 〜さめざめと凍えた視線

     挑発的な映画文法を敢えて駆使し、精緻かつ静謐に映画への愛を描いた吉田喜重の意欲作「告白的女優論」は、岡田茉莉子・浅丘ルリ子・有馬稲子の三人の女優によるドキュメンタリータッチのメタ不条理劇。
     クランクイン2日前、彼女らが巻き込まれる虚構の時間にて語られる女優の本質は、時系列と会話体の混乱、そして光と影の陰影によって描かれながら、我々の現実だけを侵食していく。女優各々が暗示する謎、映画の定まらぬ視線と断片。それらは女優は女優を演じ、映画は映画制作を描き、観客は観客の姿勢と為す、この作品の難解かつ明解な正体である。しかし吉田喜重独特の映像によって描写された「女優論」の、何と冷徹なものであるか。ニャア。

    1971年作品/現代映画社制作
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  • ■殺人捜査/Indagine Su Un Cittadino Al Di Sopra Di Ogni Sospetto

  • 殺人捜査 〜メビウス的な着地

     昼下がりの奥様映画劇場でエリオ・ペトリの「殺人捜査」を放映。エリオ・ペトリというイタリアの映画監督の名は、今より20年ほど前、山崎春美氏に教えてもらった。その時、「華麗なる殺人」「殺人捜査」の両作品を一気に観た時の衝撃は忘れ難い。それは正真正銘に怪体な映画とその作家との出逢いであった。その後、深夜テレビで「悪い奴ほど手が白い」「怪奇な恋の物語」「キス・キス・バン・バン」などを観て、更に彼の天才を確信することになった、そのどれもが傑作である。
     さて「殺人捜査」は1970年作品。エンニオ・モリコーネのテーマを背に、色褪せた日差しに立つジャン・マリア・ボロンテが情事に歩みを急ぐオープニングシーンだけで、この作品の本質は幻視出来よう。これはストーリーテリング、役者、映像美、技法等、映画の個性を再認識するものでは無く、極端な形而上下を感覚する作品なのだ。現実世界の奇妙な捻れを決して語ることなく、メビウスの宿命を語るような茶飯事が描かれる。  嫉妬の末に愛人を殺してしまったローマ警察の殺人課課長の、世界の変容への試みと異界とのすれ違い、それらが即ち権力社会の腐敗と欺瞞を冷徹に描き上げる奇跡を見よ。
     1970年度アカデミー最優秀外国映画賞受賞、カンヌ映画祭審査員特別グランプリ受賞など私にとって蛇足に等しいが、作品の質や社会性などを計るに少なからず役立つであろう。マルコ・フェレーリの世界にゾッコンならば、その反極も楽しめる筈である。

    1970年・イタリア映画・コロムビア配給
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  • ■堕靡泥の星 美少女狩り/Stars Of David:Beautiful Girl Hunter

  • 堕靡泥の星美少女狩り 〜てんぷくトリオ

     原作佐藤まさあき、監督鈴木則文、脚本大和屋竺(サイコー)という布陣で、山本昌平演じる連続強姦強殺魔が東大教授の妻に生ませた呪われた出自のヒーローが目論む、国家転覆計画と彼の妄想オカルト哲学を描く作品である。そして牢獄SM室で展開される誘拐女性の虐待映像を鑑賞しながらカウチポテトでウヒウヒしていると、婦女子に軽蔑されること請合いの危険なポルノグラフィでもある。
     随所に散りばめられた鈴木則文の映像美学には注視に値する。発狂したアイドル歌手が新宿の雑踏で服を脱ぎ始める隠し撮りシーンのほか、暗黒の極致的なドヤ街のシーンや美しく切り立ったような東京タワーの眺めと吊るしの構図の対比、唐突に挿入される日の丸と自衛隊の映像が喚起させる日本転覆のイメージ、更に仏壇前で行われる自殺シーンなど、静寂するほど心を衝き、心ざわめく。
     しかしそんなアート志向を裏切り、覆すかのように登場するトラック野郎、星桃次郎こと菅原文太が、プッシーガロアのジョン・スペンサーよろしく胸に星を輝かせて現れるシーンには、客席の椅子を滑り落ちるに違いない。流石、青春映画「パンツの穴」を武田鉄矢演じる宇宙人のお導きによって、肥料のかけ合いに終始させた鈴木則文、感服の傑作である。

    1979年作品/にっかつ映画
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  • ■血を吸う宇宙

  • 血を吸う宇宙 〜モンド・カッツォ

     何故に芸術映画、前衛映画と定義しないのかが不思議だが、それらの手法、話法を駆使しながら、余りにストレートにエンターテイメントに則したハイブリットな世界は、まさにバットホール・サーファーズ「ローカスト・アボーション・テクニシャン」を思わせる完成された美しさがある。或いは花輪和一とも感触が似ているかもしれない。監督佐々木浩久、 脚本高橋洋(天才!)、出演は中村愛美、阿部サダヲ、阿部寛、三輪ひとみ他、黒沢清も特別出演している。私にとっては近年、前出の黒沢清「蛇の道」と並んで愛すべき作品。
     ストーリー記述を拒み、破綻したように思えるのは、映画自身に向かう観客心理を解体しようとしているからである。脱線していく回想形式の構成、選挙、亀山パンチ、応援歌、トイレの無い家、蔵書から現れる「あなたは選ばれた」なる記述、侵略宇宙人などの設定やディテールに通底するセンス、例えばミュージカルシーンにおける「0課の女・赤い手錠」へのオマージュ(これは前作かも?)など、それらの配置や在り方が、この作品についての分かり易い本質である。制作スタッフ、関係者よりも多く幾度も味わうことでしか理解し得ない、恐ろしき問題作である。即ち主題とは「視線」である。見てしまった呪いかもしれないが。
     余談だが「発狂する唇」から霊能者役で続投出演の由良宣子は中学の同級であり、町一番の美少年であった私に坂東玉三郎に似ているから歌舞伎を目指せと、幾度も班日誌に似顔絵付きで書いて寄越したのを思い出したが、これは少し私の妄想が混じっているかもね。

    2001年作品/オメガピクチャーズ・日活・オズ制作
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  • ■鉄砲玉の美学

  • 鉄砲玉の美学 〜凶暴の声

     深夜、点けっぱなしのテレビから頭脳警察「ふざけるんじゃねぇよ」が流れて来たので、びっくり。それは映画「鉄砲玉の美学」の主題歌であった。三度もフルコーラスで繰り返しながら幕を開ける渡瀬恒彦・杉本美樹主演による狂犬チンピラ映画。名匠中島貞夫が、低予算で傑作連発のにっかつに対抗してATGで撮り上げたまさしく傑作。
     山口組九州侵攻作戦の火種としての鉄砲玉が死の直前に見る幻惑を描き、虚無を問うて往還するマジック・リアリズム。これはロアルド・ダールのチンピラ版であろうか。緻密に凶々しく構築される日常とデフォルメを俯瞰した非日常との複眼的視線によって主題を浮かび上がらせた中島貞夫の演出に唸る。それは後に同じ渡瀬・杉本主演で深作欣二が撮った傑作「暴走パニック」に於けるスタイリッシュなリアリズムによる映画の暴走と好対照を成している。まさしくスローガン解体。しかし主題歌を歌うパンタの声、これは凶暴というより他はない。

    1972年作品/白楊社+ATG制作
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  • ■爆走!ドーベルマン刑事

  • ドーベルマン刑事 〜山田君、出なくて良かったね/第八話 消えた黒バイ

     原作を無視し、ツインピークスのクーパー捜査官よろしく貝殻占いで事件を捜査、黒豚を引き連れた沖縄県人の加納錠治を登場させた深作欣二・千葉真一の東映版は、野性とオカルト念法で都会のゴミ溜めリアリズムを圧倒する試みを示した好作であるが、それに遅れること3年後に制作されたTV放映版は、少年少女の鑑賞に耐え得るだけに過ぎぬ素敵な抜け作となっており、こちらも原作は無視され、黒沢年男演ずる加納を隊長とする黒バイ部隊所属の刑事七人と三頭のドーベルマンならぬシェパードの活躍を描いた、汗と体毛とエンジン音と銃声とサイレンと犬の吠える声だけでストーリーを展開させているような何ともワヤなドラマシリーズ全22話である。
     そんな中でもこの第8話だけは白眉であろう。ヨーロッパをレースに参戦しながら渡り歩く、バイク乗り達の夢「コンチネンタルサーカス」を実現する為に警察の黒バイを盗み、無軌道な犯罪に手を染める若者とそれを追う刑事、その二人を演じるのが元ずうとるびの江藤と新井なのが憎い配役であるが、今村良樹は、この時点で影も形も無い事を付け加えておこう。そしてバイクを盗まれた刑事を「男組」の流全次郎役でデビューした後に二代目「刑事くん」と相成った木村拓哉ばりの男前俳優星正人で、彼の口から、かつて「コンチネンタルサーカス」への夢を諦めた過去が語られるとドラマは俄かに速度を増し、遂には背後の巨悪をあぶり出し、ラストは男の涙の大洪水、更に「町は朱塗りの海になる」と不思議な詩を黒沢がキーを外しながら歌い始めれば、一時間もの浪費をしてしまった事にようやく気付き、我に返る事が出来るのである。

    〜ラリーズつながり/第十八話 黒バイ部隊VSハーレー軍団

     今回は、メインゲストがクールスの歌謡ドラマ。80年の作品なので、クールスがクールス・ロカビリー・クラブの頃で、ピッピが抜けて、横山剣が入る直前のR&Bドップリ期、丁度メインプロデューサーが山下達郎の時期であるが、ドラマのロックバンドは、相変わらずガレージみたいな所で共同生活しているというお馴染の設定は21世紀になっても続けられている日本の伝統。
     FBI捜査官の滝和也(矢吹二朗)の誤認捜査により犯罪者集団という濡れ衣を着せられたクールスは芸能界をホサれてしまい、それを知った滝は土下座で謝罪するが、やはりジェームズ藤木は滝を許せない。深夜、豪雨の中に立ち尽くす滝。
    「あいつまだあんな所に立ってやがんぜ」
    「えっどれどれ」(と窓に頭を縦に5つ並べて眺めるおそ松状態のクールス)
    「あんな事やってても許しちゃおけねぇ」
    「むしゃくしゃするぜ」
    「こんな時はライブだぜ」
    と10坪に満たないガレージでライブが始まり、演奏するメンバーと雨に打たれて深刻な滝和也のカットバックをたった一曲の演奏の間に繰り返すうちに空はすっかり明るく、雨も上がっているではないか。
     クールスの演奏するナンバーが一曲、三時間にも四時間にも及ぶ、まるで裸のラリーズのようなグループであると仄めかしているのであろうか。そう言えばキャップ役の夏木陽介と言えば、パリ=ダカール・ラリーの第一人者であるのも偶然とは思えぬ、との筈も無く、気を取り直したクールスは、黒バイ部隊と共に遂に真犯人を逮捕の大団円、翌日の朝刊の見出しが「燃えるクールス、熱狂の青春」と熱いのか冷たいのか判りませんな。

    1980年放映/テレビ朝日制作

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  • ■悲愁物語

  • 悲愁物語 〜映画そのものをラストで燃やしてしまう映画

     映画そのものをラストで燃やしてしまう映画を御存知だろうか。それは「悲愁物語」である。原作梶原一騎、監督鈴木清順、脚本大和屋竺、所謂、三面宿儺である。有名な「殺しの烙印」日活解雇事件後、初の監督作である本作は、大企業のイメージキャラクターに抜擢された無名の女子プロゴルファーの栄光と挫折を描いたスポーツ根性モノ。とは原作者への配慮であろうか、実はヒロインを妬むサイコ主婦たちによる集団いじめによって、精神が破綻していくまでが大半を占めて描かれる。これは鈴木清順による「あなたのそばの魔女狩りの話」である。
     主演は本作に出演以降、常連となる原田芳雄。監督の毒気に当てられたか、身体を紅白に塗り分け、奇声を上げて大暴れしている。他に原作者の愛人でもある大根女優白木葉子、岡田真澄、江波杏子などの出演。
     時系列の混乱、不規則なカットアップ、暗示的な色彩の変化、遠近法の悪戯、リフレインされる桜のイメージ等、独特な演出法が駆使されながら、この残酷秘話が醸し出す生々しいメタ感覚はどうだ。逃げ出したいほどに居心地悪く、まさに鉛を飲み込んだような息苦しさを覚える。無感覚の暴力で一人の人間を追い詰めていく過程がコミカルに描かれ、死への道行さえもカリカチュアされる不穏。その空気が、しかし突然ラストで炎に包まれて得られるカタルシスの素晴らしさに、あなたは呆然とするに違いない。映画がまさに燃え尽きるのである。映画を爆破し損なったゴダールの「気狂いピエロ」を軽々と飛び越えた鈴木清順の反引力。そしてこの映画を境にして清順映画は痛快さの代わりにゲル状の余韻を麻薬として孕むようになってゆく。蛇足ながら、次作は藤田まこと、原田芳雄による怨霊刑事物語「穴の牙」である。

    1977年作品/松竹・三協映画制作
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  • ■ブルークリスマス/Blood Type:Blue

  • ブルークリスマス 〜イカへ変態する人類、如何にも

     その作品に必ずUFOを登場させる脚本家倉本聰と名匠岡本喜八による近未来SFの傑作。それは二つの翻弄される人々の姿を通し、未知なる存在に脅える国家の姿を描いた無残なる悲恋の物語である。
     世界サミット席上にて、UFOの地球来訪と青い血液を持った人間の発生を告知した後、失踪を遂げた科学者と彼を追う新聞記者。そして北海道に住む、自衛隊特殊機関所属の隊員と彼の恋人。その無関係な二組を取り囲む人々のドラマは、互いに小さく抵触しながら豪速でカタストロフへ突き進む。
     外宇宙から持ち込まれた宇宙線の影響により、人体に異変を生じた人々(つまり血液が青く変化した人々、イカの血の色ね)が世界中で増加している事実が公表されるに至り、デマゴーグによる魔女狩り、それに乗じた反体制分子狩りが開始される。次第に統制機能を失いつつある国家は、遂に異常種の虐殺を決定し、神に祈りを捧げるクリスマスイヴに、その処刑を決行するのである。赤い血と青い血が雪に溶け合うシーンはひどく哀しく、しかし美しい。声を上げそうになるほど愚劣にして聡明なる肉食よ。神を、世界を呪う瞬間はこの時である。

    1978年作品/東宝制作
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  • ■野獣刑事

  • 野獣刑事 〜泉谷しげるは何を演じたのか

     野獣と聞けば「ナイト」と答える野暮天は、あっちに行ってな、野獣に続くは刑事(デカ)と言うから、おれたちゃいい酒飲んで、いいスケ抱いて、好きなように生きてるだけでいいジャン。てなナンバーワン・ホストのような台詞も吐けるワケよ。なんちて、そんな戯言はヨシコさん。さて「野獣刑事」は1982年公開の工藤栄一監督、緒形拳主演の作品。
     長髪をポマードでベットリ撫で付けて、真紅のシャツを着た異様な風体の暴力刑事の緒形拳を中心に、大阪・西成のシャブ市場を舞台に犯罪で繋がる奇妙な三角関係と、そして薬物犯罪にまつわる人間模様と精神異常を、猟奇殺人者篇とシャブ中狂乱篇の二部構成にして描いた破滅と異常の暗黒映画の傑作。
     薬物中毒者の日常を見つめる冷徹な視線、発狂の瞬間の惨たらしい映像表現、緩急が過激に変化する演出、ツイストしながらも唐突に収束されるシナリオの素晴らしさなど、この作品に対する賞賛は数限りないが、キャストの顔触れも絶妙で、猟奇殺人犯の益岡徹、幸薄いホステス役のいしだあゆみ、そのヒモで発狂するシャブ中を演じる泉谷しげるの他、藤田まこと、成田三樹夫、小林薫、蟹江敬三、成瀬正、遠藤太津朗、麿赤児、阿藤海などの揃え方は、ある種のトーンを以ったリアリティで迫ってくる。つまりこの作品の異色さは、現実のカリカチュア=より映画的なものへと働くベクトルが、勢い余ってリアリティへなだれ込んだような迫力と強度を湛えている点にあるのだ。
     そして冒頭に流れる、果てしなくデカダンで、果てしなくはかなげな主題歌「泳ぐ人」の素晴らしさも忘れ難い。この夕暮れに立ち昇る陽炎のようなブルースは、実は本編の伏線を張っている。

    1982年作品/東映京都撮影所制作
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  • ■野獣死すべし

  • 野獣死すべし 〜狂暴で静謐な魂

     この映画に心を狂わせた者は少なくないであろう。監督村川透、脚本丸山昇一、主演松田優作による奇跡のサンダー・パーフェクト・マインドな傑作。邦画ハードアクションのヒーロー像を独自に確立しつつあった俳優松田優作の存外の変貌はまさに戦慄を呼び起こすものであった。人気テレビシリーズ「探偵物語」の一エピソード「或る夜の出来事」にて怪優岸田森が与えた衝撃は、再び共演した次作「蘇える金狼」のラストシーンにて、その影響と傾倒を大きく示す迄に至ったが、果たして本作に現れた主人公伊達邦彦の姿は岸田の換骨奪胎を越え、蛇を咀嚼したが如きマレビトのそれである。
     公開当初の賛否両論も頷けよう、その佇まいにはヒーローもアンチも、正義も犯罪も、更には感情や言葉さえも存在を感じられぬ。其処には精神を病んだ狂暴で静謐な魂が語る空虚なドラマしか存在していない。二つの魂が描く時間と空間の歪みが時系列に沿って並べられて、次第に野獣が炙り出されていく。
     死を待ち侘びるように徘徊し、「透明人間かと思ったが、やっと現れたな」とどしゃ降りの雨の中で刺殺される刑事、死神の幻にかぶりを振りつつ殺されるカジノの用心棒達、彼らはあらかじめ同時刻、異なる場所にて死に支配されたまま滅んでいく。また死への甘き香りにおのれを見失った者達、銀行襲撃を共にする男とその愛人、そして伊達の恋人は十二分に死を予感しながら、救いの手によって殺されていく。
     強奪した「最後の狙撃者」なる拳銃を愛撫し、トマトジュースを舐める舌で萩原朔太郎「漂泊者の歌」を読み上げる退廃の時間は、濃密な死の気配を知る儀式である。それはおのれの影をも死と同様に玩ぶが為であろう。そしておのれの影は夜汽車に現れ、アメリカの民話「リップ・ヴァン・ウィンクル」の語りとロシアンルーレットの弾倉の響きの中、狂える二つの魂に姿を変えて残虐と豊饒の地獄へ堕ちていくのだ。これは死の寸前に見る劫罰の夢なのかも知れないが。

    1980年作品/東映=角川春樹事務所制作
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  • ■我が悪魔兄弟の呪文/Kenneth Anger/Invocation Of My Demon Brother

  • 我が悪魔兄弟の呪文 〜そよぎと。

     これ即ち虚無である。これ即ち歌である。お前、永遠に月を眺め、モハベ砂漠の砂の下で、アルミニウムが慄えているのだ。キキ、キキ、キキカ、キキ、キキカ、キキ。お前、瞳をつぶされて、呪われた砂漠の土くれよ。シャムの双子が生まれたら、キキカ、キキカと幾度も切り裂き、キキキ、キキカと幾度も犯し。お前、盲目の愚か者。風に弄ばれて死ぬ者よ。黄泉の賛美歌がこぼれぬようキキカ、キキカと口枷を噛み、キキキ、キキカと緋文字を食み。巨大な目玉がぽっかり浮かび、お前、砂の慄えを知るがよい。巨大な目玉がぽっかり浮かび、砂の慄えを知るがよい。

     二十世紀最大の魔術師と謳われたアレイスター・クロウリーの詩篇「ルシファー賛歌」は、魔王ルシファーを光の象徴として僥倖と昇天を描き、ハリウッドの鬼っ子監督ケネス・アンガーに霊的啓示を与え「ルシファー・ライジング」へと導いた。映像の光学的魔術によって異貌の神を召喚しうる可能性を秘めた「ルシファー・ライジング」は、しかしルシファー役の俳優ボビー・ボーソレイユとアンガーの訣別によって製作中断を余儀なくされる。ボーソレイユは自分の出演シーンのフィルムを盗み出し、火星の隕石が数多く発見されることでも知られる南カリフォルニア・モハベ砂漠の何処かに埋め、永遠に封印してしまったからである。死をも考える程に失意のアンガーであったが、それでも残りのフィルムを編集し、11分の作品として発表する。それが1969年に発表された「わが悪魔兄弟の呪文(INVOCATION OF MY DEMON BROTHER )」である。

     悪魔の手ざわり。アポロによる月面征服と十字軍によるエルサレム陥落、これらは欺瞞なる子宮が産み落とした水子である。これらはさる民族が異界に捧げた人身御供なのだ。そこで交わされた契約によって愚民の歴史を緻密に再現する試みは為され、永劫の果てまで罪状認知の罰は続く。糧も幻さえも与えられぬ我々の手に残された石つぶて、それは連続する時間である。

     この作品は「オルタモントの悲劇」を予期したかのようにローリング・ストーンズとヘルス・エンジェルスが錯綜し、ホモセクシャルとベトナム戦争などの映像の断片が、ミック・ジャガーによる単調なインダストリアル・ノイズと共にコラージュされた魔術的な作品である。「ルシファー・ライジング」が産んだシャムの双子の一人は、このように破壊と死を象徴していた。ボビー・ボーソレイユがチャールズ・マンソン・ファミリーに加わり、シャロン・テート事件を起こしたのも同じ時期である。そしてアポロ計画に加わっていた或るエネルギー研究者が人知れず暗殺された時期とも重なる。

    1969年米国作品
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